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聖書23/100週間

                 *上記写真と下記文章は一切関係ありません。
『士師記』第6章〜第16章を読む


旧約聖書を読むたびに「なぜ、なぜ」と疑問に思わない日はなかったが、「士師記」でもおなじだ。

士師という指導者的英雄がいるうちは均衡がとれているが、士師が死ぬと民は堕落し、他国から厳しいあつかいを受け、やがて疲弊する。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」人とは自分を含め、いつの時代であってもこのように愚かなものであり、油断するものなのだろうか。

ヨシュア以来、オトニエル、エフド、シャムガル、バラク、ギデオン、ヨタム、トラ、ヤイル、エフタ、イブツァン、エロン、アブドン、サムソン、これらみな歴代の士師であり、士師があらわれるたびごとに民は救われますが、そのごとに主はやきもきとし、たえず御使いを送ります。このようにして、神の変わらない愛の優しさと辛抱強さ、優しさの裏返しでもある恐ろしさを見るにつけ、おかしいほど滑稽なのは人のしたたかさです。

主との契約において人は嘆願し、救われ、咽喉もとを過ぎればその契約にそむき、堕落し、侵略され、ふたたび改心し、主にまたもや嘆願し、救われ、堕落し、と………契約と契約破棄をくりかえしながら再契約してゆく甘ちょろい旧約聖書の循環物語に、正直、嫌気のさすことがたびたびあった。

しかし、旧約聖書をここまで読み進んできて思いあたったことがある。このくり返しは実のところ、非常に大切なことなのではないだろうかと云うことだ。たとえば、一つの信仰にこりかたまった堅牢強固な民族がいたとすれば、それはカルトとなり、ファシズムとなるだろうから………永続、あるいは持続可能な状態とは、常に動的な状態でなければ存続することがかえって難しいかも知れない。たとえば強震構造の建物は、堅牢強固なものでは決してなく、たえず揺れを内包しているラーメン構造のようなものであり、揺れを揺れでもって静止させる仕組みになっている。人体が“生命”として存続してゆくためのシステムやバランス、これも動的な仕組みになっていることは立証済みだろう。そのことを考えると、堕落する人々がいるからこそ、永きに渡ってその神とその民との関係性を保持しつづけられるのかも知れない。これが今週の感想だ。


*わたしからの祈り;このところの社会現象であるケータイ人間たちを見るにつけ、オフィシャルな場であっても個人主義をつらぬき、あくまでも個々の密室性を保有したままでいるが為、電車の中や本屋さんでの目障り耳障りなケータイ人間や、歩行の迷惑になっている人々と出会うたび、これはケータイを媒介にしたカルトだなと思うことがある。

先日ここでもお話したように、バッグの外へこぼれ落ちているかのように見えたICカードの持ち主(若い女性)にそのことを指摘したところ、「置いてある!」とヒステリックな返答をされてとまどったことがある。まさしくそのような環境で育てられた(飼育された)としか考えられないような対応だ。この場合、ケータイを使用していたわけではなかったが、すでにネイルの爪先と同一化したような格好でケータイを握っていた。

親切に(別に親切の押売りをしたわけではないが)されたにもかかわらず、自分の部屋へ土足であがられたような剣幕だ。視野が狭いというか、危険というか、社会や広告にあおられて、なにごとも便利で楽しいのはわかるが誰はばかることのない自由主義! 昨今のケータイの頻度とあの距離感では、まるでケータイの奴隷のようだ。

それがいかほどのものであるか、使い方をもっと工夫して『出エジプト記』と行きたいものだ。



| 聖書100週間/未完 | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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