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聖書21/100週間


『ヨシュア記』第1章〜第12章を読む


主とモーセの意志をついだヨシュアによって、ヨルダン川の西側をことごとく征服することができた。このことは、主とモーセが行なったように、ヨシュアの力だけでは成すことはできなかった。かといって、主だけでも成すことはできなかったろう。そこには選ぶものと選ばれたものとの共同作業、先祖神にたいする信仰と畏怖心があったからこそ、神と人とが共同で成しえた結果だと思う。エジプトを出て以来、さまよいつづけるなかで、徐々にではあるがそうした時間のなかから民族主義が形成されてゆき、それがこの民族のストーリーとなって、ヨシュアとイスラエルの民がヨルダン川を渡るころにはイスラエルの力の恐ろしさが、すでに各地には鳴り響いていた。

このようにして、「ヨシュア記」は神の力、指導者の力、民の力、時間の力を味方にしての約束の地カナン征服の記録だと思う。しかし、古代ユダヤ教とはいえ、冷酷無比で、あまりにも残酷であり、それらの行為は蛮族とよばれる人々となんら変わらないと思う。

そのような事柄がつもりつもって………、結果として、この宗派が他民族国家への驚異となり、怨嗟となって、はては青年キリストを十字架へ掛けさすはめになってゆくような気がしてならない。だが、このいちだいイベントによって青年キリストは、あるいは宗派は、これよりあらたな息を吹返すことを考えれば………、それが当初よりの主のみはからいであったとすれば。なにごとも見通している舞台監督のようで、ただただ圧倒させられるばかりである。



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