CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< 「異名」になれない三つの「変名」 | main | A HAPPY NEW YEAR >>
馬はこちらを見ている
 11月ごろ犬を連れて散歩をしていたら、家の近くに馬頭観音の石碑があった。もう随分とこの辺りに住んでいたのに、初めて見る石碑だ。小さな立札には由来が書いてあって、この地には馬がたくさんいて馬場もあり、競馬が盛んに開催された関係から、馬が死没した時、この地に埋葬・供養したと記してあった。もちろん農耕用の馬だろうが、江戸時代には観音像もあったが戦災にあい、地元の有志が近年になってから再建し、通園・通学の児童達の交通安全と事故防止の祈願を込めてこの地を供養したとも書いてあった。

 立派な石碑だったのでその後たびたび訪れていたが、今日は正月前夜だということもあり、石頭にしぶい注連縄の鉢巻をしめて四手を下げていた。カメラを家へ取りに行ってからその場所に戻ってみると、一人の老婆が無心に手をあわせていた。ながい祈りの後、石段を降りる老婆に手をかすと「以前は毎月手を合わせにここへ来ていたが、なかなかこれなくなってね、一年の終だからこうして今日は拝みに来たのさ」と話してくれた。「ながくお祈りしていましたね」と訊ねると、老婆は「いまかね…、般若心経を三回上げたから…」と言った。ぼくは胸が熱くなって、老婆と話をつづけた。すると、「以前はね、この観音さんの供養日が十七日で、その日にお参りをして、そうしてから甘茶を掛けてやったものさ」とつづけた。あれやこれやと昔話を聞いていたら、杖をついて坂をすたこら降りてくる着物を着た痩せた背の高い上品な老婆がやってきた。彼女もこの観音さまを拝みにきたと言う、二人は見知り合いらしく挨拶をしていたが、その老婆も話しの輪に加わった。歳のわりには元気な二人に年齢を聞いてみると、最初の人が八十七歳で、後の人はその人より十歳年上だと言う。思わずビックリした。二人の笑顔はとても美しくて、耳も口も腰も脚もしっかりとしていた。ぼくたちは随分と話してから「来年からはもう石段を上がらずに、階段の下から拝ませてもらいなさいよ」と余計なことをいうと、後からやって来た老婆が「わたしはそうさせて戴いているんだよ、脚が痛いからね」と言った。先の老婆がつづいて「そうだね、転ぶともうおしまいだからそうさせてもらうよ」と言ってくれた。すると、後の老婆が「どうやらあちらは忙しいらしくてなかなかお呼びには来てくれないのよ。こちらはすっかり用意ができているのにさ」と言って笑った。つられて、先の老婆も、そして、ぼくも笑った。
 偶然の出合いだったが、二人の老婆のおかげでとてもすばらしいギフトを年の瀬にぼくは頂戴してしまった。ところが、帰り道、小さな姉弟が歩いて、弟が「お姉ちゃん待ってよ〜」と叫ぶと、姉が「お姫さま待ってちょうだいと言わないと待ってあげない!」と言いながらさっさと歩いていった。弟は真顔で走っていた。冗談だとは思えない顏つきをした姉弟だったが、交通事故にでも遭わなければよいがとつい念じてしまった。
 夜は紅白歌合戦の時間を利用して、諸星大二朗の『暗黒神話』をまた読んだ。〈馬の首〉暗黒星雲が物語だが、最後は弥勒信仰で終っている。弥勒は阿弥陀とちがって五十六億七千万年後に出現するという有限数が条件づけられている。つまり、我々と同じ時間線上の存在なのだ。だが、好きな弥勒菩薩の話しをしていると新しい年に乗り遅れてしまいそうなので今夜はここで筆を置くが、そうしたまだ来ぬ明日を思い煩う日常性の配慮に堕ちてゆくあたり、オレも〈まだまだこの人間界ではぐれることなくやってゆけるぞ〉と妙な自信が湧いてくる。瞬視の虚無点だけを楽しむところへは決してゆけないだろうから、明日は眼と鼻の先にある月見岡八幡神社へお参りしてお伊勢さんのお神札(天の力)と、氏神さんである八幡さんのお神札(地の力)を頒布して戴き、「本年が良き年となりますように」と平凡な願を掛けくるつもりだ。
 ささあ、皆さまにも良い年でありますように。
| 日々是好日 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック