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Fの11番という役者
 たそがれどきの川筋、橋と川に囲まれたような街がある。土手がジグザグと盛り上がっていて、その道ばたにひょろひょろとした草が2〜3本生えている。ときおり、けたたましい轟音をたてて、橋の上を電車が通過してゆく。橋はどうやら鉄道橋のようだが、すでにそうとう使い古されていてアカ錆びている。あたりの風景は目に見えないが、橋の近くに群がっているであろう街の匂いがそこに漂っていた。舞台にはただ一軒、ガード下らしき広場に屋台を大きくしたような食堂があって、空き地には椅子がわりになるような箱や、テーブルになる箱がいくつも置いてあった。
 そんな殺風景な“街”の土手を、手に赤いあやとりの紐をにぎった少女が歩いていて、その影には、編上げの半長靴にゲートルを巻いた男が寄りそっていた。少女は、いくらか知能障害を患っている。

 こんな風にしてはじまる劇団心日庵の『あっち川、こっち川』という劇を、中野にあるザ・ポケットで観た。昨日が初日であったから昨日観たが、劇はできるだけ初日の公演を観ることにしていたからだ。
 ザ・ポケットという名前がついているだけに、ここの劇場はコンパクトであったがとても観やすくて、声もよく通った。階段状になった客席の下にフラットな舞台があって、客席と舞台との結界にはコンクリートでできた河岸が設置してあり、その堤防にそって土手があり、鉄橋が掛かっていた。土手の道には傾いた電信柱が何本か立っていて、30Wぐらいの裸電球がいい味をだしていた。時は昭和47年頃の設定なのだ。
 こうしてだらだら書いてゆくときりがないのではしょってしまうが、劇はアナログだ!と、つくづく感じた。絵であれば、印刷物にたいする原画のようなものだが、役者の体温やバイブレーションがそのままこちらまで伝わってきて一体となれる。観ている側の我々は、位置的には川の水だか中州に生えているペンペン草かも知れないが、なにかの役を頂戴したようで、嬉しい。狭い舞台には総勢二十一人もの役者が登場するが、エッシャーの絵かメビウスの環のように循環している舞台の上で、それぞれが相対的に結ばれていて、その引力が突然に切れたり繋がったりしている。ただ、唯一、先の赤いあやとりの紐を持った少女とゲートルを巻いた男だけがその場を超越しているが、彼女の透明感は自然いつしか全体へと伝染しつつ、つじつまや帳尻のあわなかった人々も、ラストではそれなりの光を獲得してゆく。
 劇中、この少女が川の中を覗く場面があったが、その時、川面に反射した陽の光がゆらゆらと輝いて、一瞬少女の顔を照らしたことがあった。金山美由紀という役者がよかったからであろう。この場面がとても印象的であった。
 わたしはこの時、Fの11番という客席にいたが、なんだかちょい役をもらったような気がした。水中にいるわたしは、その水中から外を眺めているが、水面が全反射していて鏡のようにキラキラしているから少女の表情はわからない。わからないが、この輝きの彩りそのものがトータルであることをこの場でだれかがしっかりと確認しておかなければならない役が絶対に必要であると思った。そして、その役柄こそ自分なのだと確信した。幸い、Fの11番という客席は、それにふさわしい場所であった。
 この劇団の出物をまた観てみたいし、こうしてふたたび参加もしてみたいと思った。
| 演劇 | 11:03 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
Lの7番という役者さまへ

お便りありがとうございます。
見ず知らずの方とこんなふうにしてお話しできるなんて、なんと幸福なことでしょう。ブログやインターネットは時に悪者扱いされますが、ぼくはこういう出会いを信じてキーを叩いてきました。ですから、素直に嬉しいです。
たしかに、言われてみますと、あの闇は不自然ですね。失礼ですが、Lの役者さんの場合は「L」ですので、少々後方での“出演”だったのでしょうか。わたしは前方からステージを見上げる感じでしたので、Lさんに言われてみるまでは少々盲点になっていました。また一つ新たな発見ができて感謝しております。話は横道に入ってしまいますが、「唐十朗であれば…新宿へと」と文中にありますが、ひょっとすると、そこでもLの役者とFの役者は共演していたかも知れませんね。。。。ともかくも、あの闇は、現代のうすっぺらな闇ではなく。。。。畏怖すべき闇がまだ光彩に満ちあふれていて、たとえ貧しくはあっても、あるいは、賎しくはあっても、それなりに品位があった昭和というかけがいのない時代への(あるいはその時代の)、目には見えない誘蛾灯であったのかも知れませんね。

昨夜は、稲川淳二氏の「怪談ナイト」へ行ってきました。彼とは同級生ですが、怪談を怖い面白いというアングルからちょっと外してみると、そこには心日庵で観たというか、Lの役者さんが気になさった闇と同質のものがあるようでなりません。慈愛とでもいうか???

とんちんかんな長文、お許し下さい。ぜひ、また、どちらかで共演しましょう。F >>>> L
| Fの11番という役者 | 2007/09/09 10:37 AM |
 わたしの役といえば偶然通りかかった対岸から、この街の住民を横目で見る通行人の役だったのです。確かに私も水面の光が少女の澄み切った表情と重なって一瞬ではあるが神々しい横顔になった瞬間を見ました。
同じ場面を虚構の時間の流れのなかではありますが、共感できたことは同じ役者(ほんの端役ですが)として嬉しさを感じました。
Fの11番の役者が確認した核心の彩りはこの時代が失いつつある真心のような気がします。
劇中、ステージ正面奥に広がる闇の空間がとても気になりました。昼間の時間もけして光りのあたらない形而上的空間。唐十朗であればお決まりの手法で現実の新宿へとタイムスリップさせたのでしょうが、最後まで光りの当たらなかったあの「あっち側」の闇の行方を消化できず、中野の街を後にしました。
また共演いたしましょう。
| Lの7番という役者 | 2007/08/31 6:41 PM |
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