2006.12.11 Monday
シャーロットのおくりもの
われわれは釈迦のてのひらの上で・・・
『シャーロットのおくりもの』を試写で観た。
夜が過ぎ、朝が来て。春が過ぎ、また春は来る。そんなあたりまえのことを「普通の奇跡」と囁きあう台詞がとても嬉しく響いてくる映画だった。
以前から「塩梅(バランス感覚)」と「方便(幾つもあって絶対ではない通り道)」という言葉が好きだったが、この「普通の奇跡」という〈なんでもない日々そのものが奇跡〉という言葉が好きになった。命を授かったものはいずれ死ぬ。が、また甦る。クモのシャーロットは卵を産んだのちに死んでゆくが、彼女の子供たちはやがて誕生し、細い糸を帆のように吐きながら風に吹かれて旅立ってゆく。この時、風が吹くか吹かないかということがまさに一つの奇跡だろう。われわれはこのようにして、釈迦のてのひらの上の猿のように跳んで撥ねてその一生を生き、そして死んでゆく。
映画は、クモのような小さな生き物であっても決っしてあなどれないということを改めてぼくに教えてくれた。