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白い遺言

 生きることに切実であろう野の花が、深い雪の下から芽を出して、己が置かれている世界の中心をじっと見つめていたかのように生きた吉野せいさんの本をしばらく読んでいたので、普段はめったに聴かないナナ・ムスクーリの『ATHINA』を聴いた。今日のようにお天気の良い日はギリシャ音楽が似合うと思ったからだった。
 『ATHINA』のアルバムには随分とマノス・ハジダキスが作曲している。この人とよく似た名前のミキス・テオドラキスという人がいるが、この人は『エレクトラ』『死んでもいい』『その男ゾルバ』『セルピコ』『Z』『魚がでてきた日』などの映画音楽を手がけていて、どの曲も一度聴いたら忘れられないものばかりだ。二人の位置関係がギリシャでどのようになっているかをぼくが知るよしもないが、マノス・ハジダキスは女優メリナ・メルクーリが主演した『日曜はダメよ』で日本では随分と有名だが、この作曲家には深い思い出がある。
  ぼくが桑沢デザイン研究所の学生だったころ、『春のめざめ』にはじまって『エレクトラ』、『死んでもいい』、『日曜はダメよ』、『その男ゾルバ』、『トロイアの女』など、ギリシャ映画や音楽に夢中になったことがあった。が、そのころはギリシャ音楽が思うように手に入らず、演劇部の仲間であった I とギリシャ大使館を訪ねたこともあった。しかし、入手はやはり無理であった。そんなある日、I が二枚のレコードを持って学校へあらわれた。東急百貨店の古書市で見つけたとのことだった。早速に彼の家へその日遊びにゆき二枚のレコードを聴いた。ぼくたちは言葉を失った。どんちゃかどんちゃかとした『日曜はダメよ』のようなお祭り気分のギリシャ音楽ではなく、ピアノ、ハープ、ベース、ギター(ブズーキか、抑制されていて分らない)の弦楽四重奏の淡々としたものだった。知的というか…、夜の匂いがしているというか…、「これは大人の音楽だな」と言っていつまでも聴きかじっていたことがあった。ぼくはテープに保存してもらって今でも宝物のようにして大切に持っているが、 I の手元にはもう無いそうだ。もういちど良質なものに録音して、データもきちんと調べておきたかったが残念なことである。これがマノス・ハジダキスとの出合いであった。
 『MANOΣ XATZIΔAKIΣ』の劣化したカセット・テープを聴き、『ZORBA/その男ゾルバ』を聴き、『PHAEDRA/死んでもいい』を聴いた。ここにもう一つ『YOUNG APHRODETE/春のめざめ』のフルート曲があれば完璧な一日であったろうが、最初から持ってないので空で思いだすしかない。この映画のパンフレットはどこかにあったはずだが今すぐには分らない、どこかにあるだろう。思い出の映画を独りくどくどと説明するつもりはないが、『春のめざめ』は海辺で一緒に遊んでいた少女が年上の男に乱暴されるのを見た少年と、固い乳房がそのことによっていくぶん花開いていくのを感じた少年が、二人の間で唯一共通していた白い水鳥を肩に背負って入水自殺してしまう。これによく似た終りかたをしているのが『死んでもいい』だった。義母であるフェードラ(メリナ・メルクーリ)を愛してしまった苦悩する青年アレキシス(アンソニー・パーキンス)が義母に買ってもらった白いフェラーリGTに乗ってなかば自殺するかのように「ラララララララ、ラララ… フェー〜ドラ〜」と絶叫しながら断崖絶壁のワインディングロードからエーゲ海へとジャンピングする。
 少年と青年、そして女。まだ若かったぼくへ白い遺言状を残しながら二人の男子が去っていった。そんな遺言の謎を老残になった今、ぼくはまたしても確かめるがごとくに確かめて、春のおだやかな光の中で聴いている。しかし、女とはスフィンクスのごとき独立性をもって、いまだ謎のまんまである。
| 音楽 | 23:04 | - | - | pookmark |