CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< イリアス・オデュッセイア/ 曳航 | main | エレクトラとオレステス >>
イリアス・オデュッセイア/行水と鎧


私は明治生まれの信心深い、髪の黒い老婆から最初の教育をうけた。

老婆は占いもやったが、産婆術を身につけていて、私も弟も、その老婆の指先から産まれた。老婆の母は藤堂藩の御殿医だった奥医者の傍使いをしていて、産婆術はその母から習ったと言っていた。ある日、私は老婆の部屋にあった押入をだまって開いたことがある。古いゴム管のチューブやうす汚れた脱脂綿とともに妙なかたちの医療器具が甲高い音をたてながら、バラバラッところがり落ちて、あたりに散らばったことがある。棚には大きな箱がまだいくつかあって、箱と箱との窮屈な隙間に糸で閉じられた本が無造作に置いてあった。本を開いてみると、うすももいろをした身体がぱっくりと開いている絵が描いてあって、いたづらをされたカエルのような格好をしていた。それが“いのち”の姿であることが解ったのはもっと後のことである。そういう家で、私は育った。

老婆は朝起きると神棚へお神酒をそなえる習慣があって、前日のお清めを下げると私を呼び、盃へ粉砂糖を落とし薬指で何度もこねておいてから、私に飲ませた。機嫌がよい日は話をしてくれたり本を読んでくれた。『安寿と厨子王丸』『やまとたける』『赤いろうそくと人魚』『地獄極楽』など、たまに『白骨の文』というオソロシイ念仏もあった。

そのような老婆もいつしかいなくなって、小さな田舎町から都会へでてきたが、なぜだか自然、水中花のような人魚ばかり描いている。そして私はこの街で迷い、さすらい、派手な幕をひろげることもなく、とうとう時間ばかりが過ぎ去ろうとしている。そんな一刹那、一瞬間において、強烈に苦悩するギリシャ文学(悲劇)のおもしろさにいま目覚めようとしている。「男は鎧を身に着けるたび時間を浪費して、女はただ行水をしている」ヒースの茂る荒れ野原から、なつかしい婆の声がする。(僕のイリアス・オデュッセイア詩画より、絵は「人魚とないない王のオデュッセウス」 2018)






| ないない王のオデュッセウス | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://blog.michihico.com/trackback/1018604
トラックバック