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「緋牡丹博徒」第一弾


かの人は、なんと姿かたちがよいのやら。

そのかの人は、九州は熊本の五木にて博徒家業の父親の手で育てられたが、かの人が十八歳の春、父は何者かによって闇討ちされて死んでしまう。母はかの人がいまだ幼かったころ死んでいて、父の四十九日には無残にも、矢野一家は離散する! 

それから五年、犯人が残した唯一の手掛かりである財布を懐深く隠し置き、緋牡丹の刺青に女を封じ込んで父の仇を討つために旅へ出る。

はたして、花ビラカンザシを髷へ挿していたおぼこ娘のかの人は、いかにして、そのような見事な姿かたちになれたのだろうか? 

かの人とは矢野組二代目矢野竜子、通り名を“緋牡丹のお竜”・・・

映像として、“緋牡丹お竜”の仮象をつくりだしている実体の花は藤純子です。父親は東映映画会社のプロデューサー、仁侠映画ブームを巻き起こした俊藤浩滋その人です。

ともあれ、緋の牡丹が矢野竜子なら、白い牡丹は藤純子。赤勝て! 白勝て! 
これはどっちも相方現実の〈かたち〉なのです。




はい、それではいよいよ映画「緋牡丹博徒」の上映ベルがリリと鳴っておりますので最前列の椅子へご案内いたしやしょ!

第一作目となった「緋牡丹博徒」は一九六八年製作で、監督は山下耕作。もちろん東映映画で、藤純子の父親である俊藤浩滋がプロデュースしています。うぅ〜ン、白い牡丹と緋の牡丹が入り混じって複雑なロゼになってきやしたぜ!

純子、一九四五年和歌山県御坊市で生まれる。
お竜、十八歳の春から数えて五年の月日、肥後熊本五木の生まれ。

一九六八年引くことの一九四五年は二十三歳。
十八年足すことの五年は二十三歳。
白、赤ともに同い年・・・純子は上方舞の山村流日本舞踊の扇を手持ち、お竜は九州小倉藩に伝わった戸田流小太刀をものにする。うぅ〜ン、ロゼを通り超して独自な〈かたち〉になってきたゾ! ぞぞ、ぞくッと致しまする。

第一作目「「緋牡丹博徒」のお竜はんの魅力は、なんたってその〈かたち〉と〈初々しさ〉にあると思います。

素足に雪駄。
小股の切れ上がった着こなし。
黒っぽい着物に赤襦袢。
独鈷模様の博多帯に矢の字の結び。
帯締めは、ときに浅葱、ときに赤。
右背中と帯の間へ龍笛型横笛の仕込み小太刀を所持。
右肩甲骨上あたりの柔肌へ彫られた緋牡丹の花。
首筋をしっかと見せる髪型は芸奴巻風セットアップ。
珊瑚玉のような赤い簪を左後ろ髪へ挿す。

まあこれらは記号ですが、人はどのような記号をどう選び、どうモノにしながらどう板に付けてゆくかが一つの人生であって、ほんまもんの記号はお金では買えまへん。お竜はんはそれをストイックに纏って生きてはる。

そんな姿を画面で見た途端、これからはじまるであろう映画そのもののストーリーよりも、フィルムに映っていない過去のリールを逆転に空転してみたくなるのはわたしだけでしょうか? 未来へ未来へとお竜はんの姿が映しだされれば映しだされるほど、侠客として過してきた五年間の境遇や、男親が知らないでいたであろう少女時代の立ち位置をついつい想像してみたくなる。

可愛らしい花ビラカンザシの前垂れ姿は竜子をカタギの娘に育てあげようとした父への手前、それは孝行であり、母を早くに亡くした竜子は孤独や失意を友として、存外に気丈な性質(たち)であり、ある種、鳥のような自由人であったやも知れない?

スススッ!と歩くカミナンド・スタイルは、アンシンメトリックな S字の〈かたち〉が宿っています。これは着物という特異性がそうさせるのでしょう? 高倉健サンも菅原文太サンもみなピサの斜塔のようになって歩いています。実際着物を着れば解るでしょうが、男も女も合わせの上前が右側にあるために、ビミョ〜ではあるが、身体を左半身にして歩くと歩きやすいせいだと思います。ウムッ! これが日本の〈かたち〉でがんす。

悪たれゴロツキが日本の〈かたち〉で歩くお竜はんを取り巻けば、そいつは実にアブノーござんす! だって右手で上前をつまみ上げながら肩を前へ突き出したままススッと前屈みのカミナンドで間合いへ入り、右肩甲骨と帯のあいだへ仕込んだ横笛小太刀を空いた左手でひょいと抜刀すれば・・・ハハ、首が飛んじゃう。

まあそんな訳でして、一匹狼の高倉健サンや四国道後の熊虎親分(若山富三郎)サンや大阪堂万一家の女親分のおたか(清川虹子)サンらに助けられ、父親殺しの加倉井(澄んだ響きの良い名前だが、大木実が健サンの弟分の役でズルっこい男を演じる)を追いつめてゆくが、最終編(第八弾)の「緋牡丹博徒/仁義通します」と比べてみると、お竜はんはなんと初々しいことなのでしょうか。

悪気はないが、唯一手掛かりであった財布を健サンにスリ取られても(健サンそりゃねえぜ)ただアングリとするこまったちゃん顔であったり、くすぐればついなんでも喋ってしまいそうな危なっかしい口元や、「自分は男たい!」と言えばいうほどまだまだ女性の愛らしさが残っていたりしています。横笛小太刀を使ってもアゴがちょっと引けたりして、いまだかけ出し中の旅人でがんす! て感じ。第一作目の「緋牡丹博徒」のお竜はんは、健サンならずも誰もが護ってあげたくなるような女性でした。

小太刀といえば、小太刀はずいぶん不利だろうナ? と思っている人があるでしょうが、中途半端な気持ちでダンビラ(大刀)を抜くよりも、不利な小太刀を道具にしている者は最初から気まがえが違うから、半端な相手が寄ってたかってダンビラ抜いたとしても白刃の中を身体ごと泳ぎきって、八乃字戦法のオーチョをしまくりながら、相手とすれ違いざまに手首の動脈を撫でてゆく。これはまあなんとネイキッドなタンゴ(探戈)でしょうか。

お竜はんは飛び道具のペストルを、ときに箸休みに使いますし。ハイ!

では、これで第一作目「緋牡丹博徒」はまとめにはいりますが、この映画の時代設定は明治の中頃となっています。官営事業がつぎつぎと払い下げられて、平民が苛酷な労働や低賃金で奴隷のように働かされていた頃でしょうか。ストライキがあちこちで勃発して、やがてとてつもない大喧嘩、そう、日清戦争がはじまろうとしています。







| タンゴ・ヒグラシーノ | 00:05 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント

*pagevoiceさんへ:お恥ずかしい限りですが、このバカさ加減はいったい何なんでしょうね。自分でもよく分かりません。そういう意味では「予測不能な地殻変動」かも知れません。

心の奥深くにある得体の知れないバネがはぜるたび、そのことによってまた生きていけるんだと思うと、なぜかこんなふうな時代遅れなバカ騒ぎをしてしまうのです。でも、気にかけて下さって嬉しく思います。
| migumi | 2011/01/10 10:08 PM |
また新しいシリーズが始まったのですね。
ときどき起こるこれは、
migumiさんの内部で予測不能な地殻変動みたいなのが起きるんでしょうか。
そのあたり、いつも興味深いなあ、いいなあ、と思っています。

| pagevoice | 2011/01/10 7:00 PM |
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