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大人は判ってくれなくていい


「國」という正漢字は、国境を意味する四角い囲いのなかに「人」を意味した口と、軍隊を意味する「戈」の文字が収められていると聞く。

人は戦いなどせずに、やさしく生きていたいと願っていても、極みが侵略されて同胞の男たちが虐殺され、女が暴行をうけたなら、あるいはそのようなことが過去にあって、もしそのような話しを老人から聞いたことがあり、いま極みの外にそれらの輩がいたならば、わたしは戦う。それとも、こざかしく腰を曲げて見せながら、エへラエヘラと生きてもみようか。


金持ち相手に養子縁組させるバイヤーが、子どもたちが少しでも可愛く見えるようテディベアを抱かせてポートレート写真を撮るの図

                 *

原題が「ITALIANETZ/イタリア人」で、邦題は『この道は母へとつづく』という映画はそのように大袈裟なものではなかったが、ややもすれば安っぽいものになりかねない人生に、生活の目的である使命を果たしてくれた少年の物語であった。

解説や筋書きはインターネットの検索エンジンを作動させればいとまないほどあるだろうから、ここではそれらの情報に任せてみたいが、書きたいことがあるから多少はかいつまんでおいてから、心に残ったことを書いてみたい。

臓器移植用の“部品”が目的なのか、真に子育てが目的かはともかくとして、六歳の少年ワーニャ(コーリャ・スピリドノフ)のところへ養子縁組のためにイタリアの金持ちがやってくる。しかし、ワーニャには思うところがあって孤児院を脱走するも、孤児院と金持ちの間を取り仕切っている通称マダムと呼ばれている女のパシリをしている男に、とうとうエンディングで追いつめられてしまう。


  ひなびた街角で
  手負いの男が少年を追う
  雨は降りそそぎ
  逃げ場をなくした路地の一角で
  少年は
  絶望をし
  空をくるくると見上げては
  落ちてくる雨粒の下
  チラと目にしてしまった空壜を手に取って
  袋小路に建っている煉瓦の壁へ
  その壜を叩きつけながら
  まるで映画『ブリキの太鼓』のオスカル少年が
  タカタカ・ターンと半狂乱になって太鼓を叩くときのような
  そんな恐ろしい顔をして
  「見ろ! お前なんか怖くない」と言いながら
  小枝のような細い腕へ
  何度でも 何度でも
    何度でも 何度でも
  ノコギリの刃のようになった壜を叩きつけ
  血みどろになるまで叩きつける

  男はついに
  たった六歳の気迫に呑まれ
  どうしょうもなく抱きしめながら
  あたたかく抱きしめて
  「行くところがあるだろう? だったら行け!」と
  言ってしまう
  取るに足らなかった男が
  人としての品格を
  ここにおいて取戻す
  『この道は母へとつづく』は
  そのような映画だった


と、こんなふうに書いていくとキリがないが、大人に追いつめられてしまった少年が頭上に残されたたった一つの空間に思いをはせてはみたものの、鳥にはなれず、自分自身の肉体へ開口部をみつけ出してしまうエンディングのエネルギーはとても重く、そして尋常ではなかったが、ぞっとするリアリズムがそこにはあった。

凶を見せ吉を見せながら現実の戸板がくるくると回転しながらエンディングへと移行してゆくこの映画は、別の意味において、フランソワ・トリュフォー監督の映画『大人は判ってくれない』のエンディングを彷彿とさせてくれました。『大人は判ってくれない』は少年鑑別所から脱走した十二歳の少年アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)が、小鳥のさえずる野山の小道を走りに走って、自分自身の開口部を海へ見つけ、不安な表情のままストップモーションで終るという象徴的な映画であった。このときに見せてくれたジャン=ピエール・レオの表情と、イタリア人というニックネームで呼ばれている少年コーリャ・スピリドノフが“行くべきところ”へ辿り着いたときに見せる夢のような表情が相似形をなして、いまだ少年の心が青カビのように揺らいでいるであろうわたしの肝へ重なってならなかった。

不安げな少年たちや、夢のような少女たちに受皿はあるだろうか。

映画『この道は母へとつづく』の終盤、たとえマダムのパシリであったとしても・・・パシリであったからこそかも知れないが、幸いにも、その男が資質としてのレセプター(受皿)である扉をこじ開けることができた人間であったから良かったものの、もし性根がねじ切れた人間であったなら、小枝のような少年は泥にまみれ、雨の中でとっくに死んでいったであろうに。


*フランソワ・トリュフォー監督の映画『大人は判ってくれない』原題は『LES QUATRE CENTS COUPS』直訳すると『400回の殴打』




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