地上の人間を殺す権威を与えられたヨハネ黙示録の四騎士
その第四の騎士ペイルライダー(蒼ざめた馬に乗った者の意)の名を捩った映画『ペイルライダー』をTVで見た
監督はクリント・イーストウッドで主役の牧師=ガンマンを当人がやっている
牧師とは文字どうり神の視点をもった死神=ペイルライダーである
仕事の都合上途中から見たのだったが
最後の
決闘シーンが心に残ったのでそのことだけを書いてみたい
ソリッド・フレーム式拳銃の銃身下に付いたレバーをカックンと下げ
テコの応用でシリンダー軸を水平に移動して
糸巻きのような格好をした予備のシリンダーを悠々と交換しながら
これみよがしに悪徳保安官一味を挑発するも
ペイルライダーのクリント・イーストウッドは不意に姿を消してしまう
司令塔として町の広場で身動きしないでいる連邦保安官を中心に
雁首を揃えた六人の手下(副官)たちは
狭い町のなかを散り散りになって彼を探しはじめだす
この時点でペイルライダーのペースに7人はすでにはまっているが
ペイルライダーの動きにムダがないため そのことが分らないでいる
一人の頭脳と二本の腕(ペイルライダー)
一人の頭脳と十四本の腕(悪徳保安官一味)
そしてつぎつぎと殺されてゆく手下たち・・・
このとき 普通は「映画だからしょうがない!」とか
「上手く出来過ぎぎている!」とつい悪口を云ってみたくなるが
じっと見てさえいれば出来過ぎているシーンが
実はリアリズムにもとづいていると云うことが良くわかるであろう
ヘビに睨まれたカエルが身動き出来なくなってしまうように
集団の場合に多々起きうる出来事であって
事がはじまってしまうともう後戻りが出来ないでいる場合なのだ
映画『ペイルライダー』の場合
修羅場と化した状況下で
町の権力者に銭で買われたボス格の連邦保安官は
このとき瞬時に頭を切替える必要があったはずだ
残っている手下を一旦よび集めておいてから
ペイルライダーの正義感やプライドを逆撫するような罵声を吐き
彼を広場へとおびき出すべきであった(逆撫とは頭を使うから膠着している者にとってはどの道ダメだろうが)
そして 現代(いま)と違って携帯や無線がない場合であっても
仕事師と称する一味であれば
〈乱打の発砲〉で幾つかの暗号を事前に取決めておくべきであったろう
ところが 流れを変えられないままだらだらと皆殺しにされてゆく
存外このことは現実的なのだ!
無能な上司や指揮官がうろたえたときなどよく起こりうる“事故”なのである
“事故”という認識のないまま事がどんどんと先へ進んでゆく穴には
現状の問題よりも 見事なまでの伏線図が事前に張られてあって
魔法や催眠術のような目眩しが隠されている
欲に油断している者はその目眩しに曳き連られつづけるのである
牧師が名うてのガンマンへと変身したことへの幻惑!?
珍しい拳銃のシリンダーを悠然と交換することによる威圧感!
ペイルライダーの姿がふと消えた後
黒いテンガロンハットだけが現場に残されていることへの目眩し的擬態?
などなど どれも出来過ぎていてついカッコいいとほくそ笑んでしまうが
このことはあくまでもレトリックであって
これに類する場合
うろたえた者の目ン玉にはそのことや擬態がしっかり映っていても
事があまりにも鮮やかすぎて
意識としては認識できていないという誠に空恐ろしい出来事なのである
とどのつまり
その人間にいくらカリスマ性があろうが
デキが悪ければその大将に踊らされる者は黙示録の四騎士によって
いずれ地獄へと向かってつき進む・・・
映画『ペイルライダー』は再度そのようなことを教えてくれた