
人間の気まぐれによって滅び去っていったものたちが、鳥人間と魚人間のウエディングによってリカバリーされる物語『スワンスキン』(これに登場する
仮面とDr.パルナサスの鏡に登場した仮面が偶然にも類似する)を今ぼちぼち描いておりますが、悩んでいることが一つありました。しかし、テリー・ギリアム監督の映画『Dr.パルナサスの鏡』を観ているうちにそんなものは吹っ飛んでいってしまいました。悩みの種はなんとも他愛ないもので、ドラゴンが跋扈する時代にクラシカルな格好をした主人公が馬ではなく、赤いオートバイに乗って走り回っている事柄についてでありました。どのみち荒唐無稽なお話しでしたので馬であろうがオートバイであろうがどっちだってかまやしなかったのですが、それなりの納得をいつも欲していたからです。
悩みが一瞬にして吹き飛んだ要因は馬車にありました。
『Dr.パルナサスの鏡』は見世物小屋の舞台を木造馬車の内部にパッケージングした古めかしい三層建ての住居兼用劇場として、2007年ロンドンの街角に突如! 登場させています。馬車はトロイの木馬のようでもあり、横ッ腹から可憐なユリの花ともオモチャともつかないような妖精や兵隊、魔法の鏡や森をがらがらポンと夜の空地へ咲かせて見せます。一座の長は1000歳以上だという老人で、その人こそがパルナサス博士であって、座員は十六歳になったら悪魔の花嫁にされてしまう博士の娘と若い曲芸師、それに頭の回転のはやい小人の四人等・・・そこへ橋の下で首を吊っていた男(ヒース・レジャー)が加わって、山高帽をかぶった悪魔(トム・ウェイツ)も騒がしく出入りしながら旅はいっそう面白くなってゆきます。
もうこの馬車を見ただけで強い力がはたらいて、チャチな悩みは治癒してしまいました。
斜め横へひッ傾いたノッポの馬車は、ジェノヴァやヴェネツィアのカラック船の船尾にあった船長室を彷彿させます。そしてその古さから、永遠に駆逐され漂流しつづけなくてはならない憐れな軍船をいやがうえにも妄想させます。船長は凄腕であるにもかかわらず、たえずなにかに脅えつづけている。このキャラクターはパルナサス博士そのものでありましたが、ボート競技の選手であり、美貌の青年であったにもかかわらず、関節炎から右脚を喪失せざるをえなかったヒロイックな詩人・安西冬衛がタロットカードの吊るされ男のようになってさえも吐露して見せた、あの有名な詩集『軍艦茉莉』の軍艦や艦長すら思いださせる。
・・・・・・略
私は艦長で大尉だつた。
娉娉(すらり)とした白皙(はくせき)な麒麟のやうな姿態は、
われ乍(ながら)麗はしく婦人のやうに思はれた。
私は艦長公室のモロッコ革のディヴァンに、
夜となく晝となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。
・・・中略・・・
「茉莉」は疫病のやうな夜色に、
その艦首角(ラム)を廻しはじめた--------
安西冬衛『軍艦茉莉』より抜粋安西冬衛の『軍艦茉莉』は、ヒース・レジャーが睡眠剤「アンビエン」を服用しながら鬱々としていたであろう実生活とオーバーラップしてならないが、現実的な生活だけではなく、映画の中においても不可思議なスタンスのまま突如、他界してしまった。Dr.パルナサスの“鏡”のむこう側へとヒースを本当に消滅させてしまったこの映画は、彼があまりにも素晴らしいはまり役だっただけに未完の感があることをいがめない。が、しかし、ヒースの意志を途中から引継いだジョニー・デップは束の間の登場であったにもかかわらず、ブルジョワの太っちょオバサンに代わってわたし自身を鏡の世界へぐいぐいと引きづり込んでやまなかった。
・・・さてもさて、トム・ウェイツは大好きなアーチストだが、今回はズバリ! 始終パイプ(キセルかな)をせっかちに持ち替えすぎてこちょこちょしていたのが玉に傷、役づくりにはりきり過ぎてまだまだでした。